批判が巻き起こっている日本テレビ系ドラマ「明日、ママがいない」。
私も第二話を見てみた。
結論から言えば、多くの人に見てもらいたい良作だと思う。
児童養護施設に暮らす子ども達が様々な障壁に直面する様や
トラウマに苦しむ様を、
「子ども側の視点」に徹底して寄り添いながら描いている。
かといって単に「可哀想な存在」として扱うのではなく、
所々にユーモアを効かせ、彼女ら彼らの生命力や逞しさすら感じさせる内容だ。
ドラマには、養護施設の職員が入所する子どもに暴言を吐く場面などがあり、
実在する病院や養護施設関係団体が
「施設勤務者や入所者への誤解や偏見を生む」と強く抗議している。
だが、ドラマ中のそうした職員の言動は、
子どもの目から見た「悪」として表現されている。
里親のエゴや一般家庭の子どもによる中傷、といったエピソードに関しても、
(それらが現実にあり得るかどうかは別にして)
あくまで「許されないもの」として描いている。
メディアの影響という観点から問題になるのは、
その作品が持つ「メッセージ性」である。
ある現象を肯定的に伝えるか、否定的に伝えるか。
例えば、反社会的な行動を「カッコいい」「面白い」という文脈で表せば、
演出だとしても受け手に与える悪影響は否定できない。
そのような意味で、「明日、ママがいない」は
あくまでフィクション作品の範疇に収まるもので、
放送自粛の必要はないと考える。
むしろ「子どもたちの視点から<愛情とは何か>を描く」という
初志を貫き、きっちり最後まで放送して欲しい。
メディア表現の影響問題については
折しも先日、新聞に寄稿したところだったので
御参考までに掲載しよう:
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【メディアの暴力表現は何が問題か】
この年末年始に放映された大型バラエティ番組の中に、信じられない光景を見た。芸人たちが失言するたびに罰として尻を叩かれる、1人の芸人の身体を洗濯挟みでつねったり、熱湯につけたりして、嫌がる様子を皆で笑う……。目をそむけたくなる内容ばかりだ。
私が信じられないと感じたのは、暴力表現のひどさに対してというより、「いまだに」このような表現がおおっぴらに放映されている現実に対してだ。メディアの暴力表現がはらむ様々な問題点については、かねて方々で指摘されている。改めて代表的な3つの点を確認したい。
第一は、いじめとの関連性だ。周知のように子どもたちは、バラエティ番組のネタをすぐに仲間内で取り入れる。人生経験が少ないだけに、テレビの世界で行われている内容について善悪を吟味することなく「カッコいい」「憧れ」と感じてしまうのだ。
だが、「面白くするための演出」という大義名分にくるんだテレビの暴力表現の数々は、子どもたちにいじめのヒントを与えうる。「こんな風にからかうと、もっと面白い」と教えているようなものだ。目の前で人がバカにされる様子を集団で眺めて楽しむという番組の構図も、いじめを傍観する姿勢を肯定しているかに思わせる。
私がいじめ問題を取材した際、ある女子中学生は「メディアの模倣犯は出てきていると思う。過激な暴力表現をテレビで見て、同じようなことがカッコいいと思う子もいる」と語っていた。
第二は、暴力表現そのものが及ぼす影響である。内閣府が1999年に報告した「青少年とテレビ、ゲーム等に係る暴力性に関する調査研究」によれば、テレビの暴力シーンへの接触が多い子どもほど、「他人を叩く、殴る、蹴飛ばす」直接的暴力、「相手の傷つくようなことを言う」間接的暴力ともに、経験している割合が高い。
一方、被害を受けた者の辛さに対する共感性は低くなるという。暴力描写を何度も見るうちにそれが「普通のこと」に思え、暴力への抵抗感が薄れるのだ。アメリカで行なわれた長期調査でも、子ども時代に暴力表現を多く見た者ほど、大人になってから攻撃的な言動を取る傾向が明らかになった。
第三は、「笑い」と結びつける危険性について。バラエティ番組に見られるお笑いネタの多くは「優越型」と呼ばれるタイプである。相手の外見やコンプレックスをあざ笑ったり、見下したりすることでウケを狙う内容を指す。このタイプの笑いは、例えば体の太さや背の低さといった身体的特徴に過ぎないものを「欠点」と決め付け、からかいの対象とすることに罪がある。「こういう人はバカにしてもいいんですよ」といった誤ったメッセージを、見る者に送っているからだ。
笑いには「救済型」もある。ある対象を笑い飛ばすことで、その対象からの圧力を跳ね返そうとするものだ。1960~80年代の北米では、黒人や女性、同性愛者のコメディアンがショービジネスに進出し、自分たちへの差別や偏見を痛烈に皮肉った。「オレの肌が黒くて何が悪い」と開き直り、バカにする人たちをバカにした。そうすることで、社会的抑圧から自分自身を「救済」したのだ。残念ながら、日本のお笑いにはほとんど見られない。
テレビ番組の暴力表現について、業界は自主規制で対応している。第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)は2007年、バラエティ番組の罰ゲームなどに関し「青少年は放送内容を『社会的に肯定されている』と受けとめやすい」と指摘。各局に対応を求めたが、過激な暴力表現はなおも見られる。このままでは国の介入による法規制を招き、テレビ業界は自らの首を絞める結果になりかねない。
受け手の姿勢も重要である。親がテレビの暴力表現に笑っていては、我が子に「友達の悪口を言うな」と注意しても説得力がない。冒頭のバラエティ番組は高視聴率を獲得した。「政治のレベルは国民のレベル」と言われる。メディアを育てるのも同様に、我々受け手の意識次第であろう。
(熊本日日新聞『論壇』、2014年1月19日寄稿)
*追記*
本記事は膨大な数のアクセスを頂き、
Yahoo!ニュースのBuzz記事に認定されました。
【参考文献】
『オトナのメディア・リテラシー』
(リベルタ出版)
◆大学入試 出題文献
◆学研小論文模試 出題文献
最新刊!性教育とメディア・リテラシー
『性情報リテラシー』
・子ども達はメディアの性情報にどのように接し、
自らの性行動・性意識にどう反映させているのか?
・「性的有害情報対策」としての
リテラシー教育はどうあるべきか?
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